愛犬を見ていると、思うことがたくさんある。
そのうちの1つを、今回は検証してみよう。
僕の愛犬は“アンディ”だった。
彼は、自分の名前が“アンディ”であることを理解していた。
しかし、犬には、他の動物や物に“名付ける”という概念を持っていない。
彼らには“言葉”がないのだから、それは当たり前だ。
僕の愛犬は「名前をつける」という概念を持っていないのに、
自分が「アンディと名付けられた」と理解している。
これは実に興味深いことだ。
そもそも彼らに“言葉”という概念がない。
僕とのコミュニケーションに、
言葉は理解しているのに言葉の概念がない。
その矛盾に不思議だと思ったことはないだろうか。
犬にその現象があるとしたら、我々人間にも
同じことがあるのかもしれない。
普段、日常の生活で、当たり前に理解していること、
しかし我々にまだ、その概念を持っていないことがあるとしたら。
その概念に気づいたとき、人類は一段階
進化したとは言えないだろうか。
う~ん、わかりづらいかな、
自分で言っててゴチャゴチャしてきた。
具体的に示そう。
犬が普通に理解している人間の“言葉”、
犬が“言葉”の概念に、ついに気づいた時、
犬は初めて“言葉”を発することができるようになり、
我々人間と会話できるようになるのである!
それを人間に置き換えてみると、
今我々にある、概念なき当たり前の理解、
その既知の理解に対する未知の概念に初めて気づいたとき、
犬が言葉を発することができるようになるのと同じように、
我々は、それを初めて使いこなすことができるようになるのである。
さて、その未知の概念とは何だろう?
しかし今、確実に我々はそれを理解しているのだ。
それはいったい何なのか……
今のところ、その概念がないので、何なのか
さっぱりわからない……
それに気づいたとき、何かができるはずなんだ……
君は何だと思う?